2016年5月1日日曜日

このブログを書いた理由

初公判の2014年9月17日、名古屋地裁の外で待機していたら中日新聞の記者に取材を受けました。自分の記憶する限り、次のようなコメントをしました。

「本人が一貫して否認している以上、信念があるのだろう。信念があるというのは、逮捕後の取調べにも屈せずに否認し続けたこと、大学を卒業後、東京や名古屋の大手企業の就職を選ばずに地元に戻ってきて、地元のために活動していることから、そう思った。去年のソニー美濃加茂工場閉鎖で打撃を受けている中で、あえて政治家に立候補する人物に信念がないはずがない。
収賄事件という話もよく聞くと、社会通念的にあり得ない。まず、30万円という金額がばかげている。地元に戻って活動したり、ボランティアをしていた人物が、わざわざ不正な金を欲しがる意味が分からない。
何よりも、愛知県警が「美濃加茂を焼け野原にしてやる」と恫喝したことは許し難い。岐阜人全体に対する侮辱だと思う。就任したばかりの若い市長への侮りもあろうが、田舎の自治体といっても法的には平等なのだから、公平に扱うべきだ。」

このやりとりの最中、中日の記者に「要するに、あなたは市長を信じているということですか?」と聞かれました。これには困りました。市長の藤井さんとは面識がなく、普段の人となりを知らないので、信じる信じないの問題ではないと思い、即答を避けました。しかし、記者がもう一度「市長を信じていますか?」と聞いてきたので、「まあ、信じているということになるんでしょう。」と答えました。

これで翌日の紙面への不採用が決定しました。自分なりに簡潔に事件について思うことをコメントしましたが、中日記者の2回の質問の意図が分かりかねたので、違和感が残りました。これがある意味、ブログ公開のきっかけとなったと思います。

ここからは法律論を離れて、完全に個人としての主観、岐阜人として感じたことを書いていこうと思います。コメントを取った中日の記者の方には身元が特定されてしまいますが、別に不利益を加えられることもないと思うので、自由に思ったことを書いていきたいと思います。

筆者は岐阜市民で、美濃加茂市に親戚や友人はいません。私は藤井さんと同年代の岐阜県出身者なので、勝手に親近感を持っていましたが、2014年の夏頃まで、関西方面に行ったり来たりしていたため、事件についての情報は公判が始まるまであまり把握していませんでした。なので、証人尋問は真剣勝負で臨みました。

裁判の傍聴経験は、法学部の学生時代に知人の事件を傍聴し、支援者だよりのようなものに2回寄稿。ほかに、ノートテイカーや講演会の録音の文字起こしの経験が数回ありますが、一般のメディアへの寄稿はありません。当初は、第2回公判の内容を10月8日以前にアップするつもりでいましたが、意外と打ち込みに手間取ったのと、いつものPCが使えず見取り図をワードで作成するという暴挙(図形→PDFで保存→画像で保存)で、2、3日遅れました。あとは字数制限のないブログを選ぶのに1日かかりました。

筆者個人がこの事件について最も言いたいことを一言で表すなら、真剣に頑張っている人達を侮辱したことは許せないということに尽きる、と思います。少しでも地元を良くしようと多くの市民が心を砕いているのに、強権で踏みにじったことは許せない。岐阜県民としてスルーされるのは慣れていますが、侮辱されて黙っているわけにはいかない、と思いました。

傍聴する中で、名古屋地検、愛知県警の地方に対する差別、若年者、転職者など社会的地位の不安定な者に対する見下した目線を感じていました。侮蔑的態度は、新聞、テレビなどのマスメディアからも程度の差はあれ、感じられました。

藤井さんが狙われた経緯について興味深い記事が無罪判決翌日の2015年3月6日付朝日新聞社会面37面(岐阜地域版)に載っていました(一部匿名で引用。紙面では実名。)。

事件の端緒は2013年秋、県警へ寄せられた情報提供だった。名古屋市議の一人が、N社長の浄水設備設置を積極的に働きかけている、との内容だった。捜査員は直感した。
「カネが絡むぞ」 
内偵を始めると、Nの会社は借金がかさみ、経営は自転車操業。金融機関から融資金をだまし取った疑いが浮上し、詐欺容疑で昨年2月に逮捕した。さらに捜査を進めると、押収資料から、浄水設備の設置をめぐり、藤井市長とやり取りしたメールが多数見つかった。
県警は、本格的に2人の行動や金の流れを調べ始めた。検察側もメールや市長の言動などを吟味し、贈収賄として立件に自信を見せ始めていた。ただ、「賄賂の額が少ない」と慎重な物言いもした。少額だと、授受の形跡が残りにくいうえ、市民に選ばれた首長を立件するには可罰性が乏しいと受け止められかねないからだ。
検察側は「認めない限り、逮捕状の請求は許さない」と県警に伝えた。県警は任意で聴取を始め、その供述次第で逮捕するかどうかを決めるはずだった。
しかし、思わぬ事態が生じた。昨年6月24日早朝、県警は藤井市長の任意同行を求め、県警本部で事情聴取を始めた。市長は取り調べの当初から完全否認。「長い一日になる」。県警幹部はそう踏んだが、昼過ぎになって藤井市長が「任意捜査ですし、帰ります」と捜査員に告げた。捜査当局は証拠隠滅の恐れがあると判断した。否認のまま逮捕状請求——。想定外の流れで逮捕に踏み切った結果、ほころびが生まれた。無罪判決の予兆は、すでにその時、芽生えていた。

筆者は当初、Nから押収したメールなどを奇貨として、名古屋地検が主導したと思っていました。そうではなく、仮にこの記事が正しいとすると、愛知県警の捜査員の「カネが絡むぞ」という直感がそのままエスカレートして事件化したという見方が正しいようです。一部雑誌では非常に有名になった主任検事の関口真美検事および武井聡士検事は2014年4月1日に名古屋地検に転任(2014.4.1(6)付法務省人事 Westlaw)してきたので、捜査の端緒はあくまで愛知県警が開始したことは確実なようです。

公判中、検察が名古屋市議に300万円云々した意味が謎でしたが、初動からの流れで言及しただけのようです。本件には余分なことだし、300万円は見逃して、30万円を立件するという説得力や公平性に欠ける主張だなあ、と思っていました。

仮に、立証の難易度などから、30万円の立件を決めたとしても、選択の過程で差別的な発想がはたらいていたと思わざるを得ません。同じ1期目の市議で、同じような浄水器設置の件。違うのは、年齢と自治体の規模。名古屋市議は減税日本所属の議員。藤井さんは美濃加茂市議選に無所属でトップ当選のち最年少市長に。ここで名古屋市議に手を付けると、テレビでおなじみの減税日本の河村たかしが出てきてうるさい、それよりは無名の岐阜の田舎の市長の方が与し易そうだ、ゆとり世代だし、ちょっと強く出れば簡単にへたれるだろう、しかも週刊新潮あたりが喜びそうな「最年少市長」の裏の顔というオマケつきだ、というようなことを考えながら、逮捕に突き進んだと思われます。

逮捕したら逮捕したで、いまさら「間違いでした」と言い出すわけにもいかず、騒ぎになってる以上、検事も起訴して有罪に持ち込まないわけにはいかず、どこかで供述はとれるだろうし、マスコミにリークして既成事実化すれば、多少しくじってもなんとかなるだろうと、安易に考えて暴走したのだろうと思います。

ところが、予定していた供述は得られず、無罪判決が下りました。連日の過酷な取り調べに屈しなかった人物が1人だけでなく、2人いたからです。3人中2人が否認していれば、客観的な証拠が重要となりますが、検察が基本的な現場検証も怠っていたことが明るみになるなど、無様な公判活動をさらけ出しました。

さらに予想外だったのは、逮捕後のまだ真相がはっきりしない段階で地元の市民を中心に支援の輪が広がったことです。マスメディアが軒並み有罪視報道一色の中で、身近に刑事事件を経験したこともないだろうに、早急に支援体制を整えた人達の苦労は相当なものだったと思います。とにかく長いものに巻かれろというような保守的な風土の岐阜県で、こうした動きが出てきたことは自分にとっても驚きでした。

冒頭の記者の質問に戻ると、よくあるステレオタイプの二元論で記事をまとめたがっていたのでしょうが、必ずしも紋切り型に収まるものばかりではなかったということです。

以上、つらつら書いてきましたが、このブログが何がしか社会の役に立つことを願って、記事を締めたいと思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿